罠にかけて目障りなMiGを一気に料理する作戦はベトナムでもUSAFのエースパイロット、オールズ大佐が67年に実施していますからイスラエルが参考にした可能性はありますね。(このときは米側がMiGを7機撃墜)とはいえ、イスラエルの作戦勝ちだったわけです。
How Israel Shot Down 5 Russian MiGs in 3 Minutes イスラエルはソ連MiG5機を3分間でこうして撃墜した
April 26, 2018
1970年7月30日、イスラエル空軍がソ連軍MiG-21の5機を3分間で撃墜した。
アメリカ、ロシア、イスラエルはいずれもシリアで現在対峙しているが、48年前のこの物語には今日にも通じるものがある。ソ連の息がかかった国家、この場合はエジプト、がトラブルに直面していた。1967年の六日間戦争での敗北で屈辱を感じたアブデル・ナセル大統領はイスラエルに必勝の願いで戦いを選んだ。これが1967年から1970年にかけての消耗戦争でスエズ運河地帯のイスラエル陣地へ決死隊攻撃と砲撃を繰り返した。
だがイスラエルは死傷者の発生を嫌い、数ではアラブ側に劣勢なためなかなか優勢を得られない中で反撃に出た。六日間戦争では航空電撃作戦で勝利をつかんだイスラエル空軍(IAF)は新たに取得した米国製F-4ファントムでエジプト国内奥深くまで報復攻撃を実施した。それに対しナセルはソ連に要請し高密度の対空ミサイル(SAM)陣地をスエズ運河に沿って構築した。IAFはエジプト機多数を撃墜したが、SA-2、SA-3陣地によりIAFにも被撃墜機が発生し、運河地帯での空軍作戦に支障をきたした。これは当時のハノイ上空での米側航空作戦に似ている。
SAM導入はイスラエルにとってはレッドラインだったが、そらにソ連空軍のMiG-21飛行隊がエジプト防空に投入されたことが難易度を高めた。当初はソ連とイスラエルもそれぞれ回避しようとした(今日のシリア上空でのイスラエル、米国、ロシアの状況と似通う)。だがついにイスラエル空爆にソ連が迎撃をかけた。イスラエルのA-4スカイホーク一機が空対空ミサイルで被弾する事態が1970年7月25日に発生。SAMとMiGによりイスラエルはスエズ運河地帯を西部開拓時代の「テキサス」と命名したほどだ。
イスラエルはソ連に教訓を与える時が来たと決意し周到な立案実施をめざした。ロシア語のできるイスラエル通信要員がソ連交信を傍受し、IAFに名案が生まれた。
リモン20作戦は罠を仕掛ける構想だった。「実に簡単な作戦だった」と歴史家シュロモ・アロニが書いている。「ミラージュ4機を高高度偵察パターンで飛行させ、ソ連MiG-21の飛行区域上空を通過させる。ミラージュ二機ずつ組ませ、いかにも非武装の偵察飛行に見せるが、実は各機は武装している」 さらにファントムと別のミラージュ各編隊がイスラエルが支配するシナイ半島で低空飛行し、エジプト軍のレーダーに映らないまま待機し、ソ連機が餌にかかり「偵察」ミラージュを追い回し、イスラエル領内に近づくのを待つ。
ミッション志願者は多数いたが、最高のうちの最高で経験豊かなパイロットが選ばれた。IAFクルーは腕がうずうずしながらも不安をぬぐえなかった。「怖くなかったが、どういう事態になるか予測ができなかった。相手が相手だし高度装備を搭載しているはずだったから」と当時のイスラエルパイロットが回想している。「ロシア人に『テキサス』がどこにあるのか教えてやる時が来たと言われていました」
そして7月30日木曜日の午後が来た。ソ連機は罠にかかり、エジプト各地の空軍基地から21機ものMiG-21がスクランブル出撃し、偽の偵察機の迎撃を目指した。楽な標的と思ったらファントムとミラージュIII計16機の待ち伏せだった。三分間でMiGの5機が撃墜されたが、ファントムとミラージュが2機ずつ、残り1機は両型機で撃墜した。ファントム撃墜のMiGの一機は「超低空」撃墜でレーダー誘導のAIM-7スパローが仕留めたが、設計よりはるかに低い高度での出来事だった。別のイスラエル機は「15千フィートから2千フィートまでMiGを追尾し、AIM-9Dサイドワインダー一発で撃墜した」とアロニが記している。イスラエル側には技量だけでなく運も味方した。ロシア人パイロットがファントムの後尾につけ、アトール熱追尾ミサイルを発射したが不発だった。
イスラエルの勝利には詩的な響きもあった。だがイスラエルはうぬぼれず当初はエジプト機を撃墜したと認識していたほどだ。むしろエジプトがソ連軍事顧問に憤慨した。「エジプト軍にはロシア人の失態に笑いをこらえられない向きがあった」との指摘がイスラエルにある。「この戦闘以後、ナセルは飛行隊のロシア人教官を笑ってはならぬとの訓示を出している」
米国が仲介して消耗戦戦争は終結したが、イスラエルとアラブ諸国との戦闘はこれで終わったわけではない。休戦したがSAM陣地はスエズ運河地帯に残り、イスラエルは後悔することになった。三年後にエジプトとシリアに供与したSAMでソ連はスエズ運河とゴラン高原でIAF機へ復讐した。
ただし、今回はソ連パイロットや顧問団は関与していない。エジプト大統領アンワル・サダトが1972年に国外追放したためだ。
現在のイスラエル、米国、ロシアはシリア上空で対決を避けているようだ。だが1970年同様に接近しているため衝突の危険性は存在し、米軍空爆で死傷者が発生している中でロシア傭兵にも犠牲者が発生している。イスラエルもシリア国内でイラン軍を標的にしているが、ロシアの迎撃を受けたり、ミサイルに追われる事態が発生すれば、イスラエルは反撃にでるだろう。1970年同様に火薬庫の爆発の懸念はもしではなくいつかの問題だ。
Michael Peck is a contributing writer for the National Interest. He can be found on Twitter and Facebook.
Image: Flickr
興味深い記事でした
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