今回開戦となればどんな空爆作戦になるのでしょうか。トマホークが切り込み部隊となりB-2が核ミサイル開発拠点をバンカーバスターで攻撃したり、通信網配電網をずたずたにするはずですが、都市攻撃までは想定しないのでは。その意味では1950年の再来にならず、前回の戦争が第二次大戦型の戦略爆撃の最後の実施になったのかもしれませんね。
How American Air Power Destroyed North Korea
米航空戦力は北朝鮮をここまで破壊した
- 米朝間の緊張が高まる中、その根源となった朝鮮戦争の実相を見直す価値があるだろう。
- 戦闘の概況はよく知られている通りだ。金日成の軍が1950年6月韓国に侵攻して幕を開け、スターリンと毛沢東が背後についていた。北朝鮮軍は迅速に南方へ進軍したところ米軍が国連軍として介入をはじめ北朝鮮軍は38度線の北へ追いやられる。そこで中国の「志願軍」が大量に戦線に現れ米韓軍を38度線へ押し戻す。戦況は膠着状態になり1953年に休戦合意した。
- 一方で米空軍力による無慈悲な北朝鮮空爆作戦の実際は少なくとも米国内で知られていない。朝鮮戦争の戦史研究家ブルース・カミングスは「米軍が北を三年間にわたり絨毯爆撃し民間人の死傷など気にかけなかったことを米国で覚えている人は皆無に近い」という。
- 事実、エメット・オドンネル少将は当時の極東爆撃軍団を率い、B-29を空爆に投入したが、「北朝鮮の五大都市を灰燼に帰しその他戦略拠点18地点を完全破壊する」のが任務と述べていた。カーティス・ルメイ将軍は戦略空軍が「南北朝鮮の各都市を焼き払った」と自慢し、「三年間で...人口の2割を殺害した」と述べた。のちの国務長官ディーン・ラスクは当時トルーマン政権下で国務省で勤務し米軍の爆撃について「北朝鮮国内で動くものすべて、立っているレンガをことごとく」目標にしたと語っている。
- 投下された爆発物の総量は驚くべき規模だ。トム・オコナーはNewsweekで「北朝鮮へ635千トン投下しうちナパームが32,557トンだった」とする。第二次大戦に太平洋各地で投下した爆弾の総量が503千トンであり、それを上回る量が日本の三分の一の面積の北朝鮮に集中した。歴史家チャールズ・K・アームストロングがこう著したのは驚くに当たらない。「北朝鮮国内の破壊程度は第二次大戦時の日本より大規模と米空軍は推定した。大戦中は日本都市64か所が灰燼に帰しさらに原子爆弾で二都市が破壊されている」
- 北朝鮮の工業基盤が小規模のため戦略爆撃の標的探しが大変だった。アームストロングが指摘しているように「1952年秋には米軍機の攻撃対象がなくなった。都市、工業施設はすべて空襲されていた」というがこれは決して誇張ではない。平壌の75パーセント、元山の80パーセント、興南の85パーセント、沙里院の95パーセントが破壊されている。 .
- その後米軍および連合軍航空部隊は水力発電施設さらにダムを標的にした。各ダムは北朝鮮国内の治水75パーセントを管理し、農業特に米作で必要だ。1953年5月だけで米軍がダム五か所を破壊し、大規模洪水が発生した。同時に北朝鮮国民数百万人が飢餓の一歩手前になり、ソ連中国の大規模食糧援助に頼らざるを得なかった。空爆で大規模停電が発生し、鉄道網は95%が壊滅的被害を受けた。
- 米空軍公式戦史ではこの時期について「朝鮮戦争の最終年に米空軍力は米軍、国連軍の軍事目的の達成の中心的手段になっていた。灌漑用ダム二か所の破壊以上に共産主義者へ深刻な影響を与えたものはなかった。北朝鮮農業経済がここまで深刻な影響を受けたことはなかった」と記している。
- 外部研究者には空爆作戦が戦争の行方を左右したとは信じない向きがある。政治学者ロバート・ぺイプは北朝鮮・中国が1951年時点で勝利できなかった理由は部隊が空爆による被害を受けたためで戦略爆撃ではないと説明している。航空戦力の最大効果は敵補給路の遮断とくに鴨緑江付近の橋梁破壊で中国・ソ連の支援を止めたことと主張する向きが多いが、問題の橋梁は強固に防御され、当時の航空機の活躍は大きく成約され、航空作戦は限定的な成功しかおさめていない。
- 北朝鮮は戦争被害を韓国より早く修復している。韓国の方が被害は少なかったのだが。一方で空爆の影響はその後も残った。金一族がプロパガンダに使い、幼少期から米国への憎悪を植え込んでいる。ブルース・カミングスは「北朝鮮国民全員がこれを知っており、心に刻まれている」と解説している。■
Zachary Keck is the former managing editor of the National Interest. You can find him on Twitter: @ZacharyKeck.
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