重い題材です。731部隊出身者は戦後の日本医学界でそれなりの地位につき、この話題はタブー扱いだったようですが、さすがに関係者がこの世から消えてきた今は、真正面から話題にしていいのではないでしょうか。事実は事実として認めるべきは認め、デマや風説を抑止すべきでは。科学データとして貴重な内容を米国はどう活用してきたのでしょうか。もともと毒ガスはじめ細菌兵器は禁じられていたのですが、日本では勝つために手段を択ばない=戦争にはルールがないとの考え方があったのでは。これはオウム事件でも感じられた向きがあると思います。現在は中国が当時の日本と同じ思考になっていないか危惧せざるを得ません。歴史の皮肉ですね。
Fact: Japan Wanted to Drop Plague Bombs on America Using 'Aircraft Carrier' Subs これは事実だ:日本は「潜水空母」で米本土にペスト菌攻撃を目論んでいた
July 17, 2017
- 第二次大戦中の日本は生物兵器を使い中国国民数千名の生命を奪った。だが日本が病原菌を米軍への散布を狙った機会が少なくとも四回あったことはあまり知られていない。毎回辛うじて実行に移されなかった。その最後の機会が夜桜特攻作戦でペスト菌に感染させたノミでサンディエゴを狙う作戦だった。
- 日本の生物兵器は石井四郎陸軍中将の頭脳の産物で、1930年代に最高レベルの支援を受け731部隊が「防疫給水部」として関東軍内部に生まれた。731部隊はハルビン平房区Pingfang Districtで150棟の巨大施設となり、生体標本を使い生物兵器開発に努めた。人体実験に投入された者のうち三分の二が中国人で残りはソ連で捕獲していたが、その後連合軍捕虜、朝鮮人、太平洋諸島の住民も加わる。
- 731部隊の実験内容の非人道性は簡単に言い尽くせるものではない。麻酔なしで生体解剖し主要臓器を除去しどれだけ生存できるかを実験し死体は標本にした。凍傷の開始を見るため四肢を冷凍し、梅毒に感染させ銃の監視下で収容者同士を性交させた。手りゅう弾、毒ガス、火炎放射機や爆弾の標的に生身の人体を使い、炭そ菌つまり液状バクテリアを充填した爆弾投下もあった。
- だが日本の生物戦専門部隊の好みはペスト菌で14世紀のヨーロッパで黒死病として猛威を振るったバクテリア感染だった。感染後数日で症状が現れ、不気味な横痃、高熱、壊疽や悪寒や発作で治療がない場合の致死率は50パーセントだ。
- 731部隊はペスト菌60ポンドほどを数日程度で製造する能力があり、伝染方法は自然界からヒントを得て感染ノミを使った。ノミを陶磁器製宇治50爆弾に入れ一般市民の居住地区に航空機から投下した。ノミはネズミを感染させ食料備蓄を汚染し、病苦が人体に広がった。
- 日本がこの生物兵器攻撃を加えたのは寧波Ningboや常徳Changdeでペスト感染が確認され「成功」と判定されたこともある。ただし被害者が数十万人なのか数万人なのかで論争がある。ドーリットルが東京爆撃を敢行した1942年に日本軍は報復として浙贛(せいごう)作戦を展開し、コレラ菌、チフス、ペスト、赤痢の生物兵器も投入し、中国人数万名を殺害したが日本軍にも1,700名の被害者が生まれている。
- 中国を生物兵器の実験場にしながら日本軍はこの兵器を主敵に使えないか検討を始める。1942年3月に感染させたノミ1.5億匹を数回にわけバターン半島を防備していた最後の米軍、フィリピン部隊を攻撃する案がまとまった。しかし連合軍が4月に降伏し攻撃は実施されなかった。同じ年に日本軍指導部はダッチハーバー(アラスカ)、カルカッタ(インド)およびオーストラリア数か所への攻撃を企画したが実施には至らなかった。米国内の家畜や農産物を汚染する案、風船爆弾で北米にペスト菌攻撃する案もあった。
- だが1944年になると日本の軍事優位性は悪化の一途で米軍はマリアナ諸島サイパンへ上陸する。同地には生物戦分遣隊があったが結局何もできず粉砕されてしまった。これとは別に日本潜水艦がトラック島に派遣され生物戦部隊20名と強力な病原菌を運ぶ途中で米潜水艦おそらくUSSソードフィッシュにより撃沈されている。硫黄島の激戦では731部隊はドイツ製グライダー二機で生物兵器を使おうとしたとの証言がある。しかし肝心のグライダー二機は中国の731部隊へ移動中に破損してしまう。
- 日本の敗色がいよいよ濃くなると石井中将はPX作戦を考案する。1944年12月のことで決死の特攻作戦として米本土攻撃を考えた。目標はサンディエゴで新型イ-400級潜水空母の完成が近づいており、第二次大戦中最大の潜水艦となるはずだった。全長122メートル排水量6,670トンで愛知M6A晴嵐水上攻撃機を3機搭載し格納庫内に主翼を折りたたんで搭載し、フロートは脱着式だった。
- 中国の人口稠密地を襲ったペスト菌攻撃と同様に感染ノミを収容した爆弾を投下すれば数万名のカリフォーニア住民の命を奪える。さらに決死隊が米本土に上陸しコレラやペスト菌を散布する計画だった。
- 石井中将の命名で暗号名夜桜作戦とされ1945年9月22日決行と決まった。終戦で同攻撃が実施されずに済んだとする解説がある一方で、生物兵器攻撃そのものが同年3月に中止されていたという説がある。梅津美次郎参謀長が作戦に効果ないことを認めたためだ。「最善の場合」でペストで数千名が死亡し米経済活動に混乱がある程度望めたが、それで日本の劣勢がばん回できるとは妄想にすぎなかったのである。だがある飛行教官の回想によれば攻撃決行のため7月に隊員が招集されたという。
- いずれにせよ日本海軍はイ-400級潜水艦を別の用途に投入する案だったようだ。最初はパナマ運河攻撃を狙い、晴嵐搭乗員は6月に運河の堰に見立てた目標で攻撃訓練を行っていた。別案がウルシー泊地に集まった米軍への奇襲攻撃で晴嵐を米軍標識に偽装する非合法手段まで考えた。イ-400とイ-401がウルシーに向け航行中に日本降伏の連絡が入り、艦載機は直ちに洋上で廃棄された。
- 敗戦後の石井は米軍と取引する。研究データすべてを提供する代わりに本人および部下に人体実験等での戦争犯罪免責を求め、ナチ・ドイツの科学者多数と同様の態度に出た。米生物兵器開発の責任者が研究成果を「かけがえのない貴重な内容」と評価したのは研究所見が米国では「人体実験に伴う罪の意識のため」得られない内容だったからだ。その後、石井がメリーランドに赴きフォート・ディートリックの米生物兵器開発に携わったとのうわさがある。
- ソ連は満州で捕らえた731部隊関係者12名にそこまで寛大ではなく、1949年にハバロフスク法廷で戦争犯罪人として有罪にした。被告人の自白内容は冷戦期の宣伝戦として西側が相手にしなかった。ソ連も731部隊で手に入る書類すべてを回収し、スヴェルドロヴスク(現エカテリングルグ)に生物兵器開発拠点を作った。炭そ菌開発に主力を置いた同施設では1979年に施設内汚染が発生し数十名が死亡している。
- 生物兵器を投入する作戦構想は無差別かつ予測不可能な疾病を生む可能性があり近視眼的と言われても仕方がない。だがバターンで実施していれば、勝利一歩手間にあった日本軍にも被害が生まれていたはずだ。民間人を標的とした大規模空襲が残虐かつ軍事的な効果はわずかしかなかった第二次大戦で、生物兵器は民間人殺戮には「有益な」選択だっただろう。だが生物兵器が感染症の大流行の引き金となれば、破滅的効果が双方に発生していたはずである。■
Sébastien Roblin holds a master’s degree in conflict resolution from Georgetown University and served as a university instructor for the Peace Corps in China. He has also worked in education, editing and refugee resettlement in France and the United States. He currently writes on security and military history for War Is Boring.
Image: The only surviving Aichi M6A1 Seiran. Wikimedia Commons
硫黄島で毒ガスが投入寸前までいったように「計画」だけならアメリカにもあったので
返信削除閉鎖的な状況で使用がバレない状況であるなら毒ガス攻撃も選択肢の一つ、というのが米軍のドクトリン
相手が生物化学兵器を使用した際の報復攻撃計画というのは常にあったし、化学兵器の備蓄や部隊も最前線の後ろには配備されていたがこれは日本も同じか
まあ日本は実際にマレー攻略でチビ弾という毒ガス兵器を使用したけれども、連合国にバレて報復するぞと警告を受けて使用中止
実際のところ報復を考えれば中々使用は難しいようで
大戦末期、本土決戦においては第二総軍司令畑俊六が青酸ガス兵器使用意見出してもいるけど、報復考えたら通らなかったのではなかろうか
これはクライブ・カッスラーの小説
返信削除「極東細菌テロを爆砕せよ」
のプロットそのものじゃないですか
フェイクニュースですよ
出所不明な情報は出さない方が宜しかろうと存ず...
返信削除貴殿のせっかくの良い情報が多い中、たった一つのミスで全て台無しです。
悪貨は良貨を駆逐しますぞ!
所謂731部隊に関するうわさや風説そのものじゃないですかこれは。
返信削除もはや小説と呼ぶ方が正しいと思う。