2016年12月31日土曜日

★F-35に代わる選択肢は可能なのか トランプ発言を考察する



トランプ次期大統領の発言が色々波紋を呼んでいます。それは既成事実そのものが崩れる効果を産みかねないため既得権を手にしている勢力にとっては大変な事態ですが、それだけ今まで本質を議論していなかったことになるのでしょう。何が何でも新型機が必要としてこれまで時間を空費してきましたが、2017年はJSF構想そのものが大きな曲がり角に来そうな予感が出てきました。これを不愉快と捉えるのではなく、必要な性能と価格の関係を見直す機会にしたいものです。やはりトップが変われば大きな変化が生まれそうですね。「軍事情報センター」は本稿を勝手にコピーするのであれば出展を明確にしてくださいね。

The National Interest

The 'Super' Plane That Could Replace the F-35 Stealth Fighter

December 28, 2016


ドナルド・トランプ次期大統領は自身ののツィート(12月22日)で「F-18スーパーホーネットの価格検討」をボーイングに頼んだとし、ロッキード・マーティンF-35共用打撃戦闘機の価格があまりにも高すぎるのを理由に上げていた。ワシントンの政治エリート層とジャーナリストから冷笑を呼んでいる。
確かにF/A-18E/F現行型ではF-35の性能に劣るが、業界筋の反応は例によって先入観にとらわれている。トランプ発言を文字通り解釈してはいけない。トランプの真意はスーパーホーネット発達型ならF-35の売りである性能の多くをもっと合理的な価格で実現できるはずと言っているのだ。
米海軍にとっては高性能版スーパーホーネットはF-35Cより安価ながら8割方満足できる選択肢となる。米空軍にとっては要求内容とは程遠く映るが、陸上運用の攻撃戦闘機としてスーパーホーネットがオーストラリア空軍が実証済みだ。残る海兵隊は短距離離陸推力着陸にこだわるあまり、トランプがJSFをキャンセルすれば大変なことになる。三軍は敵地侵攻能力を断念してスタンドオフ攻撃に特化するだろう。F/A-18E/Fは今後もステルス機になる見込みはないからだ。

ステルス性
スーパーホーネットがF-35にどうしても勝てないのはステルスだ。ステルスの実現には設計そのものを最初から変える必要があるからだ。だがボーイングはレーダー断面積を特に前面で減らしたスーパーホーネットをテストしている。またコンフォーマルタンクで3,500ポンドの燃料を追加搭載し、低視認性(LO)の兵装ポッドで2,500ポンドの搭載も構想している。これでF/A-18E/Fのレーダー探知可能性は減りながら、性能は向上するが、スーパーホーネットはF-35並のステルス性能は発揮できない。とはいえ物理的に可能な選択肢ではある。

電子戦能力はどうか
だがロッキード・マーティンや米空軍が公言するようにステルスがすべてなのだろうか。ロシア、中国は低周波レーダーでステルス戦闘機追尾の能力を整備中だ。そうなるとステルス機を支援する電子戦能力の拡充が一層重要になる。「ステルスは少なくともここ十数年は必要だが永遠に続くマジックではない」と海軍作戦部長(当時)のジョナサン・グリナート大将は2014年に米海軍協会年次総会で述べている。「その先が重要だ。そこでステルス性能もそこそこにもちながら敵の無線電磁送信を無効にする機材も必要になる」
米空軍も電子戦の重要性を認識している。ステルス機パイロットの中には高度の防空体制ではステルス機といえども単独侵入は容易ではないと認めるものもある。低周波レーダーの普及でこの傾向は一層強まるだろう。「ステルスとEA(電子攻撃)はシナジー関係にあり、敵の信号探知が重要だ。LOで信号探知を減らし、EAでノイズを上げる」と空軍関係者が語る。「A2/ADの脅威環境では両者を重要視していく」
ノースロップ・グラマンAN/APG-81アクティブ電子スキャンアレイ(AESA)レーダーでF-35には相当の電子戦能力が搭載されている。だがAPG-81はあくまでも高感度電子支援手段のアンテナであり、ジャマーとしても機能するが、Xバンド内の自機が使う周波数の範囲内に限られる。一方でスーパーホーネットおよびEA-18G電子戦機材にもAESAレーダーは搭載されており、レイセオンAN/APG-79もAPG-81と同様の性能がある。海軍はまだAPG-79の電子戦能力を拡充していくだろう。
F-35がスーパーホーネットに対して優位なのはBAEシステムズのAN/ASQ-239の効果もある。多数のアンテナを機体表面に埋め込み、周囲の状況をパイロットに伝えてくれる。ただしF-35の開発が長引く中でこの技術は進展を示している。海軍は統合防御電子対抗装置(IDECM)のブロックIVをF/A-18に追加搭載している。ボーイングはBAEのALQ-239や今後登場するイーグル・パッシブアクティブ警報残存装備を搭載して、レーダー警報、地理情報、状況認知、機体防御の各能力が付与できるとする。こういう新型装備でF-35のAN/ASQ-239に匹敵する性能が実現する。
別の選択肢としてEA-18Gが搭載するノースロップ・グラマンALQ-218レーダー警報受信機兼電子支援・電子情報収集(RWR/ESM/ELINT) センサーの流用がある。ALQ-218は電子情報収集ツールとして特化した装備で、ASQ-239より高性能だ。EA-18Gは未知の信号でもジャミングが可能だ。だがALQ-218は戦闘機には過剰かもしれない。

センサー・センサー融合機能
スーパーホーネットには統合電子光学目標捕捉システム(EOTS)は搭載されていないのがF-35との違いだが、ポッド式高性能センサーは搭載できる。目標捕捉ポッドのほうが有利になる場合がある。F-35のEOTSは時代遅れの技術になりつつある。F-35開発室はこの問題を認識しており、ブロックIVで解決する意向だが実現は2020年代前半までになる。F-35の個別システムのアップグレードは相当複雑であるのに対し、ポッドを交換すれば常時最新のソフトウェアが利用できる第四世代機の方が有利だ。
またステルス性能を損なうため機体外形を分解できないF-35と違い、スーパーホーネットの性能更新はずっと容易で、新型センサーも搭載できる。その例に海軍のAN/ASG-34長波赤外線探査追尾センサーポッドがあり、今年始めに低率初期生産が始まっている。AN/ASG-34投入で海軍は敵ステルス機やミサイルの探知、捕捉が厳しい電子戦環境でも可能となる。同様に長波赤外線センサーを中波EOTSに追加搭載するのはF-35のステルス特性を損なうことになり選択肢として考えにくい。
ただしF-35には切り札がある。開発が完了すればF-35は各種センサーやデータネットワークで収集した各種データをすべて集め、統合して表示できるようになる。この機能があるのはロッキード・マーティンF-22とF-35だけだが海軍は同様の「センサー融合」装備をスーパーホーネットに搭載しようとしている。海軍の複合センサー統合(MSI)は三段階で開発途上にあり、一部が実戦投入されている。目標はF-22やF-35並のセンサー融合能力を実現することだ。
海軍関係者によればスーパーホーネットのMSIはF-22・F-35の先行事例を参考にしているというが、違うのはF/A-18E/Fの現行ディスプレイでは限界があることだ。これに対してボーイングは新型大型高精細カラーディスプレイの搭載で問題解決可能としている。

ネットワーク機能
第四世代機の利点の一つに機体を探知させる無意味な送信を心配する必要がないことがある。F-35は通常は全方位有効なLink-16データリンクを使用し、多機能高性能データリンクを高度脅威環境で使う。問題は両者ともF-35の各種センサーからの大量情報を送信するスループットが不足していることだ。これに海軍が気づいて対策を考えている。他方で海軍は戦術目標情報ネットワーク技術(TTNT)のデータリンクを超高速データ・レートでEA-18Gグラウラーで実現し、海軍統合火器管制防空NIFCCAの一部とする構想を進めている。

結論は
F/A-18E/Fはステルス機になれないが、低費用で米海軍は必要な能力の8割を実現できる。発達型スーパーホーネットなら敵地侵攻攻撃除きF-35Cの性能はすべて実現する。この攻撃はスタンドオフ兵器で実現できる。米空軍へは朗報とはいえないが、発達型スーパーホネット導入を迫られれば渋々受け入れざるをえないだろう。海兵隊にはまったくいい話ではなく、短距離陸垂直着陸型のスーパーホーネットは物理的に不可能だ。いずれにせよトランプ提言でボーイングとロッキード・マーティン間でコスト競争が生まれれば納税者には悪い話ではない。提言そのもののよりも生まれる効果に期待できるのではないか。

Dave Majumdar is the defense editor for The National Interest. You can follow him on Twitter: @davemajumdar.


ヘッドラインニュース 12月31日(土)


12月31日のヘッドライン

筆者が注目する記事の要約を掲載しています。時差・掲載時間の関係でその後進展した内容と食い違うことがあります。


ロッキード、PAC-3年間受注が14.5億ドルに
米陸軍が一括発注しているペイトリオット高性能版-3迎撃ミサイルが対前年比32%で14.5億ドルに今年達していることが判明した。発注にはカタール、韓国、サウジアラビア、台湾、アラブ首長国連邦向けも含む。防空ミサイル需要は今後5年で210億ドル規模と言われ、レイセオン-ロッキード組が先行し、MBDA、タレスも売上増を狙う。


台湾の戦略的意義へ再度注目すべき
トランプの台湾電話会談で驚いている暇はない。太平洋進出を着々と進める中国は米国の国益に挑戦する姿勢を隠そうとせず、今こそ台湾の存在が日米豪の太平洋同盟関係で重要な意味を有していることを認識すべきだ。(この記事は別途ご紹介予定)


J-31輸出を狙う中国
瀋陽でJ-31の輸出仕様FC-31ジャーファルコンが23日初飛行に成功した。機体価格は70百万ドルとF-35の半額程度になるとみられる。中国は同機の輸出に力を入れそうだ。


トランプ発言で注目が集まる「スーパー」なスーパーホーネットはどんな機体になるのか
F/A-18E/FではF-35の代わりは務まらないが米海軍が進める高性能版F-18実現の追い風になる。F-35Cの8割の機能をもっと低い価格で実現できれば十分実用に耐える。オーストラリアには陸上運用攻撃機として有効だ。海兵隊は構想を考え直す必要があろう。その他ステルス、電子戦、ネットワーク機能を検討してみる。(この記事は別途ご紹介予定)

2016年12月30日金曜日

ヘッドラインニュース12月30日(金)


12月30日のヘッドライン

筆者が注目する記事の要約を掲載しています。時差・掲載時間の関係でその後進展した内容と食い違うことがあります。



建造中の空母写真配信で共同通信に中国が不快感を示す
中国国営メディアは写真流失で一層の国防情報の機密防衛が必要との警戒を訴えている。共同通信が写真を配信したのは二週間ほど前で建造中の同艦の鮮明な写真は独自に入手したと説明していた。http://www.scmp.com/news/china/diplomacy-defence/article/2057712/chinese-state-media-calls-tighter-national-security


中東地区に米空母は不在に
アイゼンハワー空母打撃群が12月26日帰国の途につき、ペルシア湾地中海で7ヶ月の任務を終えた。搭載した第三空母航空隊はISISを相手に空爆を展開してきた。通常はローテーションで次の空母部隊が交替するが今回はない。ブッシュ空母打撃群がノーフォークを出港するのは早くて1月20日になるからだ。ヨーロッパ,中東、米国でテロの恐れが高まる中でこの空白は痛い。


米空軍が衛星ジャミング対策をレイセオンに契約公布
これは衛星通信を妨害されにくくするための対策。レイセオンは新技術で広帯域グローバル衛星通信用の各衛星とともに民間商用衛星も防御する。

イタリアがATR72哨戒機版を導入
イタリア空軍がATR72海上哨戒機を四機受領した。老朽化してきたアトランティークに代わり地中海で難民の渡航を主に監視する。

2016年12月29日木曜日

12月29日(木)のヘッドラインニュース


12月29日のヘッドライン

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EP-3Eの後を継ぐのはMQ-4Cトライトンだ
情報収集機材としてMQ-4CをEP-3に代わり運用する準備を米海軍が進めている。今年夏にトライトンに器材を搭載するプロジェクトが18ヶ月の予定で始まった。中・高帯域受信装備を搭載したMQ-4Cは2021年に初期作戦能力を獲得する。


遼寧は海南島へ
台湾国防部筋はロイターに空母遼寧は六隻の随行艦と海南島方面に向かっていると伝えた。同部隊は台湾南方を12月25日に通過し、台湾防空識別圏の外側20カイリ地点に停止していた。


米空軍がJSTARS後継機のRFPを発出
B-21(800億ドル)、大統領専用機(32億ドル)に続けて地上をレーダーで監視するE-8C共用監視目標攻撃レーダーシステム機(JSTARS)のRFPが12月28日に公布された。米空軍は69億ドル事業として2024年の初期作戦能力実現を目指す。ボーイング、ノースロップ、ロッキード・マーティンに加え、多数の新規企業も参入を狙う。


放射性物質を韓国へ落とす無人機を北朝鮮が開発中
韓国シンクタンクは北朝鮮が無人機を改造し、放射性物質を含む爆発装置を搭載し韓国首脳部を攻撃する手段を開発中と指摘した。ステルス性を備えた無人機開発を目指しているという。



2016年12月25日日曜日

★★まともに作動しない中国製兵器に輸出拡大の可能性はあるのか




War Is Boring

Z-19 偵察攻撃ヘリ。. Alert5 photo via Wikimedia

Malfunctioning Weapons Throw a Wrench in China’s Arms Industry

American and Russian firms still dominate

by KEVIN KNODELL

2016年11月、中国は珠海航空ショーに展示700社を集め、アフリカ、アジアの来場者が中国製軍事装備に群がった。関心の的は新型J-20ステルス戦闘機で同機は初のお披露目の機会となった。
  1. だが中国武器輸出にはトラブルも多いと米陸軍の海外軍事研究部門のニュースレターO.E. Watch 2016年12月号が中国にハードルは高いままだと指摘している。
  2. 「世界は中国防衛産業を一流とは見ていない。原因に装備が動作不良をしたり、設計に不備があることがある。さらに付帯サービスが欠如しており、販売後の訓練や保守管理ができていない。政治的に中国を信頼していない国もある」
  3. たしかに中国は武器輸出を相当な規模で進めてきた。アフリカでは三分の二の国で中国製武器が採用されている。ここ数年間で中国の武器輸出は記録を塗り替える規模になった。とはいえ、ここにきて武器輸出は鈍化しており、世界市場はロシアとアメリカが大きく支配している。
  4. 南アフリカで9月に中国業者はJF-17戦闘機の買い手を見つけるのに苦労している。同機はパキスタンとの共同開発で米F-16に相当する。一部アフリカ諸国は購入資金で困難を感じ同機を発注しているのはナイジェリアのみだ。
  5. カメルーンは中国製攻撃ヘリコプターを4機導入したが、一機は納入直後に墜落しており、以後の調達は止まっている。中国製兵器の信頼度に懸念が広まっている。
  6. 米国、ロシアの製品が戦場で実証済みなのに対して中国製装備は購入しないとその真価がわからない状態だ。
パキスタンが運用するJF-17 は中国との共同開発。.Photo via Wikimedia
  1. 2016年9月のインドネシア海軍演習では中国製C-705ミサイルが目標を外れた。ジョコ・ウィドド大統領の目の前での大失態となった。
  2. これに対し中国専門家はミサイルの性能を弁護し、人的エラーに原因があるのではと主張する。「ミサイル発射には中間段階で人的要因が大きく作用します。標的に命中させるためには正しい参照データが必要です」さらにC-705並びに短距離用のC-701、C-704の各ミサイルはイランが支援するフーチ戦闘員がUAE艦船を攻撃した際に効力を実証済みだと主張している。
  3. 中国製兵器は世界の反乱勢力、戦闘員の間に人気があり、スーダンは中国製ハードウェアの大口購入国となり、アフリカ中の武装勢力へ供給窓口になっている。
  4. 南スーダン政府軍が中国製対空ミサイルを運用しているのが目撃される一方、スーダンが支援する武装勢力も中国製兵器を使用している。
  5. アフリカへの中国製武器輸出は同時に中国企業による大規模アフリカ投資と表裏一体で、豊富な天然資源に注目しながら中国は軍事プレゼンスを着実に強めている。
  6. 「交易が中国経済成長の中核だ」とO.E. Watch は指摘する。「中国が軍事技術での信頼性向上に成功すれば、武器輸出の経済での役割も増加するだろう」
  7. 世界で戦争がある限り、中国の防衛産業が顧客を見つけるのに苦労する事態は考えにくい。■


ヘッドラインニュース 12月25日(日)


12月25日のヘッドライン

筆者が注目する記事の要約を掲載しています。時差・掲載時間の関係でその後進展した内容と食い違うことがあります。


中国が南シナ海防御態勢の強化か
米政府関係者はフォックスニュースに中国が南シナ海に防空装備の搬入を準備していると語った。米情報衛星はHQ-9、LD-2000両装備が海南島に集積しているのを探知しているが、一時的な搬入にすぎないと評価している。ともに今年前半にパラセル諸島に搬入され展開している。


ハリアーの千歳展開はこれが見納め
米海兵隊航空隊VMA-542が航空運用訓練ローテーション配備で12月22日、千歳基地に展開した。F-35Bの配備が迫る中、今回がAV-8Bハリアーの最後の展開となったとみられる。



平成29年度防衛予算 F-35A調達6機分盛り込む
新年度予算に749百万ドルが6機調達用に計上された。導入後は三沢基地に配属される。またSM-3 Block II A迎撃ミサイルの調達予算も計上されミサイル防衛体制の強化が目立つ。


米民主党へのロシア・サイバー攻撃の解析進む
民主党全国本部へのサイバー攻撃に使われたマルウェアはロシアがウクライナ軍に向けて使ったものと同じX-Agentだと専門家が分析した。


中国製兵器は品質、サポートに欠陥かかえたままなぜ売れるのか
ハードウェアとしての故障の頻発に加え、取扱方法の訓練等のサポート体制が不足していることで中国製兵器への信頼は低いままだ。それでもアフリカは中国兵器の輸出先として大きな存在感を示している。(この記事は別途ご紹介しますhttps://warisboring.com/malfunctioning-weapons-throw-a-wrench-in-chinas-arms-industry-e395fa0290c3

★傑作機P-51はこうして生まれた 米陸軍将官の偏屈な思考はどう影響したのか



信じ込むと人間は自らの誤りに気づくのが困難になります。マスタングの成功よりも無駄死にした数千名の爆撃機搭乗員を救うことができなかった上層部の思考の誤りを論じるべきです。しかしどうやって自らの誤りを修正したら良かったのでしょうか。今度戦争が発生すればこんな長期戦は考えにくいので、戦訓から思考を修正する余裕はないはずですが。我々はどんな教訓をこの事例から学ぶことができるでしょうか。

War Is BoringWe go to war so you don’t have to
第二次大戦中のB-17編隊. Air Force photo

Arrogant U.S. Generals Made the P-51 Mustang a Necessity

With better leadership, the iconic fighter plane might’ve been unnecessary

by JAMES PERRY STEVENSON and PIERRE SPREY
第2次大戦でP-51マスタングがドイツ上空で示した功績はよく知られている。当時を象徴する戦闘機となり、高速で高高度を長距離飛行できたため米陸軍航空隊のお気に入りのP-47やP-38よりソーティあたり撃墜機数が多かった。
  1. しかしP-51マスタング誕生の真実はちがう。新型機として困難な初期期間に直面し、燃料増槽が必要なのに却下されて苦悩にさいなまれている。さらに陸軍特有の「外部案件」への敵意をむき出死にする関係者にも悩まされ、発足直後の米空軍の公式記録の内容も真実とは似ても似つかぬものだった。
  2. 第一次第二次大戦間に爆撃機の性能は向上し、複葉戦闘機は時代遅れになた。米陸軍航空隊の爆撃機部隊将官は将来の敵戦闘機が爆撃機を邪魔する事態を頭から認めようとしなかった。
  3. そういった将官は爆撃機が無敵だとの主張を実証しようとした。ヘンリー・「ハップ」・アーノルド中佐は爆撃機論の先鋒でその後空軍参謀総長に就任している。
  4. 「1931年演習が高速爆撃機は高性能を示すとの主張を裏付けたようだった」と歴史家タミ・デイヴィス・ビッドルが著書Rhetoric and Reality in Air Warfare で書いている。「アーノルドの結論は演習の審判官と同様で『戦闘機は爆撃機を迎撃できず航空軍は戦闘機開発に尽力する必要なし』というものだった」
P-51Bの初期型. Air Force photo
  1. 偏狭なこの見方が陸軍の航空戦力整備戦略に組み込まれ、予算論争と終わりのない空軍力をめぐる宣伝戦が始まった。数年のうちに戦闘機を投入した演習や海外での実戦実績から陸軍航空隊将官連中が下した結論の間違いが証明されている。
  2. 「1933年の演習では戦闘機隊は昼間編隊飛行中の爆撃機を55パーセントしか迎撃できず、26パーセントは手付かずのままで...夜間飛行は迎撃率は67%だった」とビッドルはまとめている。「だが防衛側が勝利したとは判定できなかった。戦略爆撃論者は迎撃で機数が損耗する予測を受け入れようとしなかった」
  3. 「結果解析から爆撃機論者は演習ルールを勝手に作り、見たいと思うことしか目に入れなかった。爆撃機による空爆の有効性のみだ。演習ルールは爆撃機に有利となり、審判官は不都合な想定外結果はすべて排除した」(ビッドル)
  4. だが真っ向から異る戦闘実績が入ってくる。1936年7月のことでスペイン内戦が戦闘機の威力がどこまで爆撃に対してあるかを示す好機となり、爆撃機の機関銃に効果がないことが如実に示された。爆撃機が一方的に不利に撃墜される事例がスペインで発生し、次の戦争での米爆撃機の運命が明らかになった。
  5. 「爆撃機編隊の援護機には爆撃機数の二倍以上が必要だ」との主張が陸軍内部から起こったとビッドルは記している。
  6. 米陸軍大佐クレア・シェノートは航空隊戦術教程の主任戦闘機教官として爆撃機にも「古来からの原則としてすべての武器に対抗手段が登場する原則」が適用せざるを得ないと主張。これに対し同じ教育訓練部門の爆撃機論将官はシェンノートを将官昇進から外し、本人は1937年に退官している。
  7. 皮肉にもこのことでシェノートは中国でフライングタイガー隊の訓練と指揮が自由にできるようになった。戦闘機隊が日本爆撃機編隊に素晴らしい戦闘実績をあげたことがシェノートの戦術論の有効性を示している
  8. だが陸軍航空隊の主流はシェンノート構想を無視し、スペイン内戦の結果を客観的に見ようとしなかった。スペイン事例は爆撃機の損失を防ぐには戦闘機援護が必須だと示していた。
米陸軍航空隊が喧伝した「精密爆撃」 Air Force photo
  1. 陸軍航空隊は爆撃機予算を援護戦闘機に回したくなかった。戦闘機の航続距離が短いと爆撃機の運用を制限するとの反対論が出た。
  2. まさしく身から出た錆だといえよう。P-47やP-38は英国に展開してドイツへ向かう爆撃機の援護につこうとした。だがアーノルドは各戦闘機の増槽装着を禁じてこれを不可能にしてしまった。
  3. 増槽はアーノルドが一番大切にする爆弾搭載量を減らす。「1939年2月にアーノルドは52ガロン容量外部投下式増槽のP-36向け開発を中止させている。理由は『安全対策』だった」とトレント・テレンコは述べている。「燃料増槽をつける代わりに300ポンド爆弾が搭載できた」
  4. アーノルドは戦術上の理由付けを試み、1940年4月には自ら設置した陸軍航空隊の将来の優先順位検討会の提言を検討している。
  5. 提言では長距離重戦闘機を優先順位の筆頭に上げていた。四番目が1,500マイル程度の援護戦闘機だった。
  6. アーノルドの信用のために言っておくと本人はこの一番と四番を入れ替え、長距離援護戦闘機を最重要とした。真珠湾攻撃とフィリピン侵攻は戦闘機の航続距離問題をあらためて浮上させている。
  7. 1942年2月20日の会合では「アーノルドは補助燃料タンクの全面的開発を命じた」と米空軍のロバート・エスリンガー少佐が空軍大学校の論文で記している。この決定は日本軍のゼロ戦が軽量落下式増槽をつけて爆撃機を援護し、フィリピンに配備していたB-17爆撃機隊を駆逐して二ヶ月半後のことである。
  8. 残念ながら予算要求の中心は四発爆撃機で、爆撃機中心思想の同将軍は安上がりな増槽への予算手当をしなかったのである。
  9. 八ヶ月後の1942年10月に「...第八空軍からP-47用に投下可能な燃料タンクができないか問い合わせが入った」とウィリアム・エマーソンが述べている。「結局何も回答がなかった」
  10. 「1943年2月に再度要求が来た」とエマーソンは指摘している。「記録ではどんな回答があったのか不明だが1943年6月29日に陸軍資材軍団がやっとP-47用の増槽の最終設計検討会を開催している」
  11. 「1943年8月8日に試作品が数種類完成したものの第一線の使用に耐えるものはひとつもないと同軍団は認めざるを得なかった」
増槽をつけた P-47. Air Force photo
  1. 我慢できなくなった第八戦闘機部隊はイングランドで英国人職工を雇いクラフト紙で増槽を自作した。太平洋地区の第五空軍のジョージ・ケニー大将もスパム缶詰から独自に増槽を作っていた。米陸軍航空隊の制式採用品よりも作りがよかったとのことである。
  2. このことを知ったアーノルドは「ケニー大将が一体どうして自分で増槽を作る必要あるのか理解できない」と記しているとエマーソンは述べている。「同将軍が二ヶ月で開発したのならここ本国では一ヶ月で作れるはずだ」
  3. アーノルドの落ち度は米国製増槽を第一線で戦うパイロットに支給せず20ヶ月を空費したことである。陸軍本省には野戦運用から出る構想を毛嫌いする傾向があり、とくに解決策が安上がりでも驚くほど効果があるとなれば、事態は悲観的だ。
P-47で増槽の有無による作戦半径の違い Air Force art
  1. 第2次大戦を通じ陸軍航空隊は米国一般社会にノーデン照準器による正確な爆撃効果で四発爆撃機がドイツを屈服させたと繰り返し喧伝していた。一般大衆も政治指導者も宣伝を鵜呑みにし、敵戦闘機や対空砲火も効果なしと信じ込んでしまった。
  2. 開戦前から米陸軍は地上軍を送らずに空のみで完全な勝利を実現する方法を検討していた。その中で爆撃機至上主義の将軍連はB-17は無敵で、完全防御可能な空飛ぶ要塞だとし、ドイツ爆撃を一刻も早く実施したいとし、増槽つきの護衛戦闘機が揃うまで待とうとしなかった。
  3. 第八空軍のドイツ本土初空爆は1943年1月27日で、戦前構想と現実の不整合を残酷なとほど思い知らされた。ウィルヘルムスハーフェンではB-17、B-24を90機喪失している。目標を見つけられたのはわずか58機、60%にすぎない。護衛戦闘機はなく、爆撃機搭乗員はドイツ戦闘機を22機撃墜したと主張した。
  4. ドイツの空襲後集計では喪失は7機のみで、戦場での戦果報告が3倍に過剰に報告される歴史上の原則の実証となった。ナチは目標地まで到達した機体のうち3機を撃墜している。これは5%の損失に相当した。
  5. 一見低い撃墜率だが、戦闘損耗率としては看過出来ない実績だった。5パーセントは撃墜喪失であり、帰還できた機体でも損傷があり、11回出撃を続けると機体乗員の半数を失うことになる。
  6. 更に悪いことが重なった。
激しい対空砲火で機首を喪失して帰還した B-17 Air Force photo
  1. イングランド駐在の第八空軍司令アイラ・イーガー大将がドイツ国内奥深くへの爆撃機出撃を護衛戦闘機なしで実施させたのだ。1943年春には毎月80機の爆撃機を喪失し、4月から6月は110機に増加している。
  2. イーカーは動じることなく自らの方針を貫いた。1943年秋になるとシュワインフルトの航空機・ベアリング製造工場へ大規模攻撃を命じ、シュツットガルト自動車工場も標的としたが大損失になった。
  3. 第八空軍は毎回17から19パーセントの爆撃機を喪失しており、搭乗員の損失は1,200名に及んだ。爆撃でドイツ工場の製造は三分の一減ったが効果は数週間しかなかった。
  4. 1943年10月には一週間に渡り集中爆撃を実施、その頂点が暗黒の木曜日と言われた10月14日でシュワインフルトの再来となった。
  5. 今回は米搭乗員の損失はにもっと大きく、作戦が終わると第八空軍は在籍爆撃機の26パーセントを除籍せざるを得なかった。
  6. イーカー配下の爆撃機損耗は高く、三ヶ月で機材が全部交替するほどで明らかにまずかった。三ヶ月で搭乗員全員が生命を失っていたのだ。
  1. 上のグラフでは垂直方向の赤い柱は第八空軍で投入可能な爆撃機数を示し、緑と赤線は爆撃機喪失の累積を示している。ウィリアムソン・マレイのStrategy for Defeat: The Luftwaffe 1933–1945,資料から1943年9月移行は損失分の爆撃機の代替が難しくなっているのがわかる。
  2. 暗黒の10月に戦死した搭乗員は2,030名となり、爆撃機が援護戦闘機なくても任務を完遂できるとの神話が幕を引く形となった。
  3. そこでウィルヘルムスハーフェン初回空襲から暗黒の10月まで数千名が意味のない戦死をしたが、英国内の各基地には戦闘機が多数あり、ドイツ空襲の途中までは護衛にあたっていた。アーノルドの判断で増槽ができなかったことがこれだけの戦死に繋がったといえる。
  4. 暗黒の10月で爆撃機・乗員の喪失は交替能力を超える規模になったのが明らかになると、爆撃機至上主義派の爆撃機防御能力過信の限界が顕になり、イーカーも援護戦闘機なしでの爆撃の実施は諦めざるを得なくなった。
  5. 「シュワインフルト空襲作戦で重爆撃機の単独行動が不可能と認識された」と米空軍史は1955年にまとめている。「1930年代初頭から続いた論争は完全に終わった」「ドイツ国内の目標地に行く爆撃機編隊は再集結を数回して攻撃精神を叩き込んだ」とし、「ただ精神だけではドイツのMe-109やFw-190戦闘機に対抗できなかった
  6. 「第八空軍爆撃軍団の作戦研究部はこう述べていた。『敵戦闘機が我が方損失5件のうち2件を引き起こしている。最終的には10機中7機の損失原因になっている』」
  7. 陸軍は護衛戦闘機なしの空爆を1944年まで中止した。命令はフレッド・アンダーソン大将(第八爆撃軍団司令官)名で1943年10月22日に発布されたと米陸軍少佐グレッグ・グラボウが指揮統制総合幕僚学校の論文でまとめている。
P-38 とP-51の作戦半径の違い. Air Force art
  1. その後二ヶ月に神話劇の万能解決策のようにマーリンエンジンを搭載したP-51Bマスタングが瓢箪から駒の形で12月に登場する。爆撃機の最大行動半径に等しい距離が飛行可能となり、もう一つ重要なことはイーカーの公認にジミー・ドゥーリトル大将が着任している。戦闘機援護の必要を強く信じる将官だった。
  2. 1943年12月11日にP-51B編隊が初の護衛任務に投入され、爆撃機隊をエムデンまで援護した。二日後にマスタング編隊はドイツ海軍基地キールまで480マイルを飛行援護した。P-51Bの護衛が始まると爆撃機損失は直ちに低下した。
  3. ペンタゴンでは「成功すると父がたくさん出てくるが、失敗は孤児を生むだけ」との言い方があるがアーノルドにもあてはまる。
  4. アーノルドは自叙伝を戦後執筆し、P-51を航空隊に採用する決定は自分の功績だと主張している。
1940年にノースアメリカンの「ダッチ」:キンドルバーガーにP-40を英国向けに生産する要請が来た。「ダッチ」はP-40の生産方法が思いつかず、部下の技術陣に同機資料を研究させて、P-40の代替機材を作らせた。資材軍団は特に感銘を受けなかったが、もしノースアメリカが同機を英国向けに製造すれば、米陸軍に無償で二機を提供するよう求めた。
1号機は1940年後半に完成した。生産は1941年中頃まで始まらなかった。(ジェーン航空機年鑑では1941年12月としている)。小官が1941年春に外地に出向くとトミー・ヒッチコックとウィナントの両名からP-51の件を話しかけてきたが、その時点では同機のことは知らなかった。スパーツと小官はノースアメリカ工場へ行き、1月だったか2月だったかともかく1942年早々のことだったが、初めて実機を目にし、この機体は米陸軍に必要と直感したのだが、資材軍団は却下していた
  1. 事実としてマスタング誕生と第二次大戦への投入にアーノルドも米陸軍も洞察力を発揮していない。上記アーノルド自叙伝の文章では重要な点でP-51の出自とのくいちがいがある。ネルソン・オルドリッチのAmerican Hero レイ・ワグナーのMustang Designer ジェフ・エセルのMustang: A Documentary History of the P-51 リン・オルソンの Citizens of London である。
  2. 各研究者の成果からP-51マスタングの進化の様相が細かく判明している。
アリソンエンジンを搭載した初期型のマスタング試作機 North American Aviation photo
  1. マスタングは正しく備えているものに偶然が作用した好例だ。1940年初頭に英政府関係者は英国直接調達委員会を立ち上げ、米レンドアンドリース資金で米産業界から英国が緊急に必要とする兵器類を導入することとした。迅速に調達する必要に迫られていた。
  2. 近接航空支援用戦闘機(英国流では「直協機」)として英空軍用に同委員会は生産中のP-40ウォーホーク導入を決める。だが同機は対地攻撃性能が貧弱とわかった。
  3. だが米陸軍航空隊はP-40はカーティス工場生産分は全機米軍用に必要だと同委員会に告げ、かわりにノースアメリカン航空機のジェイムズ・「ダッチ」・キンドルバーガーに接触し、同社でP-40ライセンス生産できるか調べたらよいと提案した。
  4. キンドルバーガーは配下の主任技師エド・シュムードに検討させる。シュムードはドイツ生まれの帰化市民で、もっと良い設計案を三ヶ月で仕上げてみせると即答。後年、シュムードに戦闘機設計の経験があったのか聞いた研究者があった。「なかったが、チャンスがあればどんな設計にしたいかいつも頭の中で考えていた」と答えている。「これがP-51になった」
  5. 英側はノースアメリカン航空機案を受け入れ、新型機の設計、製造を次の2つの条件で認めた。ひとつ、ノースアメリカンは機材を1941年1月までに納入すること、ふたつP-40と同じアリソンエンジンを搭載すること。
  6. 英委員会は1940年4月10日に契約を承認し、試作機は102日後に完成した。ただしアリソンからエンジン納入が遅れ、初飛行は1940年1月26日になった。
  7. 英空軍向け生産は1941年早々に始まり、英軍はマスタング I の名称をつけた。1942年8月にはRAFマスタング部隊がフランスのディエップへ初出撃し、英仏海峡で敵艦を攻撃している。
  8. 1943年になると米陸軍航空隊がA-36アパッチとしてイタリア戦線に投入したが軽度の対空砲火にも液冷アリソンエンジンの弱点をさらけ出してしまった。
  9. RAFでは試用投入と英仏海峡での空戦結果からマスタング Iには低空域なら空対空戦での可能性があると判断。アリソンエンジンは高高度での爆撃機援護は全く不向きだと露呈した。
  10. それでも初期型の欠点から新型P-51が生まれ、アーノルド、スパーツ両将軍の爆撃任務を助けることになった。ただし両将軍も陸軍内部の調達部門の官僚主義も改良型の同機をアメリカにもたらした功績があるとは言えない。
後期型のP-51マスタング. Air Force photo
  1. 実際の主役は有名な国際ポロ選手のトミー・ヒッチコックだった。社交界政界のコネをつかいP-51をその気のない将軍連や露骨に敵視する陸軍内の官僚組織にたくみに売り込んだのである。
  2. ヒッチコックは裕福なニューヨーク家系の生まれで第一次大戦ではパイロットに志願し敵機を二機撃墜し、捕虜となったものの脱走に成功し、大戦間は優秀なポロ選手として名を馳せ、メロン財閥と縁戚関係になり、スコット・フィッツジェラルド小説のモデルとなった人物で、大戦勃発で再度操縦桿を握りたくてしかたがなかった。
  3. その時点で41歳だったので希望は実現しなかったがロンドンの米大使館で航空武官補となり参戦した。1942年5月1日、真珠湾攻撃からほぼ5ヶ月後にヒッチコックは陸軍少佐として赴任した。
  4. ヒッチコックは第八空軍と英軍、英航空産業界のつなぎ役となった。英国に良い考えがあるとは受け入れられない米国人は多かった。そこでヒッチコックは出所をあきらかにせず英国発の革新的な成果を紹介することとした。ロールズロイスのテストパイロット、ロニー・ハーカーからアリソン、マーリン両エンジンのサイズがほぼ同じだと聞く。
  5. ハーカーはかねてからロールズロイス社にスピットファイヤー戦闘機用のマーリンをマスタング用に使う提言をしていた。ハーカーとヒッチコックはアリソンエンジン搭載のマスタングを操縦して低高度での取り回し性能の高さは認めていた。
  6. ハーカーは同程度の馬力ならマスタングがスピットファイヤより時速で30マイル早いと気づく。航続距離の延長も可能だと気づいた。アリソンエンジンは高高度で馬力不足を露呈したがマーリンは違い、大きな戦術効果が期待できた。
  7. ロールズロイスはマーリン換装マスタングのテストを知らせてきた。ヒッチコックも同じ構想をノースアメリカン航空機に伝えていた可能性はある。
  8. 同時にパッカード自動車がロールズロイスと米国でのマーリンエンジンのライセンス生産の交渉に入っていた。1942年7月25日にノースアメリカンは英国向けマスタングのマーリンエンジン換装を許可した。
  9. アメリカ側はこの機体をXP-78と呼称してすぐXP-51Bに変更している。英国ではロールズロイスエンジン換装は1942年8月12日に了承された。
  10. 同年10月13日に初の換装型マスタングが飛行し最高速度は390マイルから433マイルになり、毎分3,440フィートの上昇性能と外部増槽付きで行動半径2,000マイル超を得た。
  11. 1942年11月30日に今後はノースアメリカンがパッカードのライセンス生産マーリンエンジン搭載機を飛行させ、さらに好成績をあげた。XP-51Bは高度29.800フィートで441マイルと、アリソンエンジン搭載型より時速で100マイル早くなった。
  12. アーノルド自叙伝ではトミー・ヒッチコック大使館付武官にロンドンで1941年春にあったとある。これは不可能だ。ヒッチコックのロンドン赴任は1942年5月だったからだ。
  13. アーノルドの日記でも確認できる。「1942年5月26日火曜日 クラリッジホテルへウィナント大使と出向き、ウィナーと、チェイニーおよび武官を朝食」
  14. 日記では武官とだけあるが、ヒッチコックは1942年5月1日にロンドン入りしており、日記ではアーノルドはヒッチコックの名前をちゃんと記述している。「チェイニー、ウィナントと米戦闘機とくにP-39について話し合い。チェイニーはP-38、P-39でともに性能に疑問、両機種を使う我軍の選択は誤りと断言」
  15. ヒッチコックがマーリンエンジンの件を伝えたのか、ウィンストン・チャーチル英首相がこの件を別の機会に知ったようだ。1942年10月22日にチャーチルはアーノルドに会い、幕僚作成の論点リストを提示し、連合軍航空作戦の改善方向を論じている。そのひとつがマーリン換装P-51だった。
  16. チャーチルは「P-51マスタング戦闘機に適正なエンジン搭載する開発を推奨してきた」とアーノルドは記している。
  17. マーリン搭載P-51の予想性能データをもってヒッチコックは1942年11月にワシントンDCへ戻り、アーノルドを訪ね朗報を伝えている。説明を聞いたアーノルドはP-51には気のない返事しかせず、データは「推定」に過ぎないと退けた。
  18. ヒッチコックは陸軍大将に屈することなく、かつ軍歴の出世を求めていなかったのでアーノルドの上司にあたるロバート・ロヴェット陸軍次官補(航空)に会いに行く。ロヴェットは真剣に耳を傾けたようだ。ふたりとも第一次大戦で航空隊におり、ニューヨークの社交界有力者として息が会い、ポロ仲間でもあった。
  19. 「ロヴェットの強い求めもあり、アーノルドもいやいやながら折れて、P-51Bを2,000機発注した」とオルソンの研究書にある。「だが最優先案件のはずだったが生産に遅れが発生してもアーノルドは対策を命じていない」
  20. 「ロヴェットはアーノルドはあくまでも空の要塞があればよいと考え、戦闘機はあとまわしだったと観察している。だがロヴェットはメッサーシュミットにはこんな制約はないことを指摘している」
  21. 「長距離性能のあるP-51は欧州戦線で一刻も早く必要だった。配備が遅れたのは空軍に責任がある」とアーノルドは自叙伝で述べている。だがこの記述はこう書かないと正確でない。「配備が遅れたのは小官に責任がある」
  22. 陸軍上層部が正しく優先順位付けをしていれば長距離型P-51Bはドイツ上空で控えめに言っても1942年10月の初飛行から9ヶ月後に作戦投入可能だっただろう。
  23. 機材があれば第八空軍は壊滅的損傷を爆撃機、乗員双方で1943年夏秋に避けられていたはずだ。アーノルドもこんな風に回想できていただろう。「P-47が増槽をつけずドイツ奥深くへ侵入した爆撃機に随行するのが大幅に遅れたのは小官に責任がある」
  24. アーノルドの思考のため増槽開発が1939年に止まり、1943年に数千名の爆撃機搭乗員が援護戦闘機無しで生命を落とした。必要のない虐殺であり、遅きに失したが1944年に増槽が利用可能となり、長距離P-51Bが登場し解決されたのである。■
James Perry Stevenson is the former editor of the Topgun Journal and the author of The $5 Billion Misunderstanding and The Pentagon Paradox.
Pierre M. Sprey is a co-designer of the F-16 fighter jet, was technical director of the U.S. Air Force’s A-10 concept design team, served as weapons analyst for the Office of the Secretary of Defense for 15 years and has been an active member of the military reform underground for the last 35 years.