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歴史に残る機体⑧ メッサーシュミットBf 110「駆逐機」はコンセプト陳腐化の体現


Nazi Germany's Failed Menace in the Air: The Bf 110 'Destroyer'

A smart design that quickly went out of date.
Messerschmitt Bf 110G. Wikimedia Commons/Public domain

July 29, 2016

1930年代中頃のナチ・ドイツには一つ問題があった。双発中型爆撃機ハインケルHe-111などの行動半径が1,500マイルほどであるのに対し、単発戦闘機のメッサーシュミットBf-109は400マイルの行動半径しかなかった。(大戦中に燃料増槽を付ける) 1939年以前の航空力信奉者は「爆撃機は必ず敵防空網を突破できる」と信じていたが、ドイツは爆撃機にま離陸から帰投まで護衛の必要を感じていた。

  1. 解決策がメッセーシュミットBf-110、双発戦闘機で外観は小型爆撃機そのものだった。航続距離1,500マイルを初期型で実現し、単発戦闘機より重装備で機関砲4門、機関銃4丁までを搭載し前方を射撃したほか、後部機銃一丁で背後の敵機を排除する構想だった。当時としては画期的な時速350マイルを実現したBf-110は第二次大戦初期の戦闘機の大部分より高速だった。
  2. だが戦闘機の設計ではすべてが代償なしに手に入るわけではない。燃料をそれだけ搭載するため機体は大型化し大重量となった。大型で重い機体にはエンジン二基とプロペラ二組が必要となるのでこれも重量増になった。その結果、Bf 110の重量は4トンとBf 109の二倍以上になった。
  3. この大型戦闘機は駆逐機と呼ばれ、ドイツが重視した重戦闘機の象徴となった。搭乗員はドイツ空軍でエリート扱いで1確かに939年まではその地位にふさわしかった。相手が時速230マイルのポーランド複葉機や護衛なしの英軍爆撃機だったためだ。
  4. そこにバトルオブブリテンが始まる。1940年夏までドイツ空軍は地上部隊支援がほとんどでポーランド、フランスで防備の薄い敵相手にBf 109の援護範囲で十分だった。戦略爆撃任務として英国内陸部へフランスやノルウェーから発進した。Bf 109は強力な単発戦闘機だが飛行範囲があまりにも短く、ロンドン上空で10分しか使えず基地帰還する必要があったので爆撃機は英空軍の戦闘機の餌食となった。
  5. 長距離護衛戦闘機の必要を実感したルフトヴァッフェは虎の子Bf 110 部隊を投入した。低速のポーランド複葉機相手には十分でもRAFのハリケーンやスピットファイヤ相手では優秀なBf 109でも互角だったのでBf 110には状況が全く別だった。Bf 110の航続距離と武装の代償が今回は高くつき機敏な操縦性はなく、加速も劣っていた。本来護衛するはずのハインケルやスツーカの代わりに自機の防御が精いっぱいとなり、Bf 110各機は旋回飛行でお互いの後部を守り、RAF戦闘機の攻撃を排除する空のメリーゴーラウンドを出現させた。
  6. バトルオブブリテン開始時に237機のBf 110があったが223機を喪失している。命を落としたパイロットの一人はナチ最高幹部で空軍長官のヘルマン・ゲーリングの甥ハンス・ヨハイム・ゲーリングだった。
  7. だがこれでBf 110の物語は終わりではない。北アフリカ、ロシアの各戦線では有用な対地攻撃機になった。(英国も重戦闘機ブリストル・ボーファイターを同様に使用している) 新型レーダー搭載でBf 110は夜間戦闘機に活路を見出す。護衛戦闘機なしのRAFランカスター爆撃機をドイツ上空で撃墜した。機関銃を追加し、無誘導ロケット弾も積んだBf 110はこれも護衛なしの米軍B-17やB-24をドイツ上空で1943年に撃墜しているが、制空戦闘機としてBf 110の価値はなくなっていた。
  8. これが実感させれたのは1944年で米P-51マスタングが時速450マイルで1,600マイルを飛び高度の機体操縦性を発揮したためだ。マスタングやサンダーボルトが相手ではBf 110は再び一方的に狩られる側になった。
  9. マスタングの登場は重戦闘機の破たんにもつながった。マスタングは英国製エンジンを積み速度、操縦性、航続距離すべて満たす戦闘機になった。Bf 110の重装備はなかったがそれでどうだったのか。マスタングがBf 110に空中戦で優位な立場に回っても逆は難しかった。
  10. 重戦闘機構想は今日でも見られるが、かなり薄まっている。F-15が「重量級」でF-16が「軽量」戦闘機というのは高性能だが高価格戦闘機と安価だが性能で妥協した軽戦闘機の比較となる。
  11. 航空機工学と搭載武装の変化により第二次大戦型の重戦闘機は不要になった。当時の戦闘機の武装は機関砲・機関銃のみで速度と操縦性で敵後部に回り発射位置を確保した。今日の機体ではF-35のように速度と操縦性を犠牲にしてもセンサーや空対空ミサイルで一発必撃を狙う機体が出現している。大型機には追加燃料搭載が必要だったが、空中給油機の登場で燃料を大量に積まなくても長距離飛行が可能となった。
  12. Bf 110は最初は素晴らしく思われた発想も急速に陳腐化してしまう現象の象徴だ。1930年代末のRAFがまだ複葉機を運用しているころBf 110は当時の最新鋭機で、F-22をF-86と比較するようなものだった。だがドイツの機体開発当局が機体・エンジン技術の進歩を理解できていれば、単発機で Bf 110の航続距離等を実現できていたはずだ。
  13. つまるところ「駆逐機」構想は破たんしたのである。■
Michael Peck is a contributing writer for the National Interest. He can be found on Twitter and Facebook.
Image: Messerschmitt Bf 110G. Wikimedia Commons/Public domain

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