Tom Clancy Dies at 66
By: US Naval Institute Staff
Wednesday, October 2, 2013
テクノスリラー小説の生みの親にして米海軍協会が始めて刊行した小説の著者が火曜日死去した。
- トム・クランシーがバルティモアの病院で死去したと、クランシーのかつてのリサーチャー、共著者ジョン・グレシャム John Gresham がUSNIニュースに2日明らかにした。享年66歳。
- 「五六年前にトムは心臓発作に襲われ、バイパス手術を受けていた」とグレシャムは説明。「今回は発作の再発ではないだろう」
- クランシーは保険代理店をメリーランド州カルヴェント郡で営む傍ら、軍事史、特に技術面で精通するようになった。保険の顧客には原子力潜水艦で艦長を務めたあと、カルヴェントクリフ原子力発電所に勤務するものが多く、保険を勧誘しながら元艦長たちの知識から海軍艦船内で原子炉が作動する原理を学び、米海軍の原子力ミサイル潜水艦に弾道弾を搭載する意義を理解するに至った。また冷戦たけなわでもありソ連の軍事施設の知識も蓄えていった。
- クランシーが米海軍協会 U.S. Naval Institute との関係を作ったのは保険営業をしながら同協会紀要 Proceedings 編集者フレッド・レインボウFred Rainbowに投稿原稿を送ったのがきっかけだった。
- 「はじめて顔合わせをした際はクランシーは編集部に電話をかけてきて編集者に手渡ししたい投稿があると言っていた」とレインボウは回想する。
- 編集部はクランシーとの面会に抵抗があったが、数回にわたり電話が入り結局招きいれ、投稿へ通常の謝礼を支払っている。
- 「その小切手は結局現金化されていません。クランシーのオフィスで額に入れて保存してあるのです。著作物で支払いを受けたのははじめてだったのですね」(レインボウ)
- 次にクランシーは紀要に二回目の投稿をする。海軍のホーバークラフト艇から核ミサイルを発射する提案だった。「三番目が『レッドオクトーバーを追えThe Hunt for Red October』でした」
- レッドオクトーバーはソ連のミサイル潜水艦で艦長が米国への亡命を企て巧妙に策略を立てるというスリラー小説だった。出版した海軍協会出版会はこれまで小説の類は刊行した前例がなかったが、この駆け出し小説家にチャンスを与えることとした。
- 同書は1984年に出版され、好意的な書評を得た。しかし、本当に評判となったのは当時の大統領ロナルド・レーガンが同書を手にしている写真が出回ってからだ。感想を聞かれたレーガンが「一度読み始めたら止まらないunputdown-able」うえに「完璧な冒険談perfect yarn」と答えている。
- 同書は1990年に映画化され、ショーン・コネリーがソ連艦長マルコ・ラミウスを、アレック・ボールドウィンがジャック・ライアンを演じ、ライアンはその後のクランシー作品で繰り返し登場する人物になる。映画ではライアンが冒頭に海軍協会紀要(対潜水艦戦特集)をスーツケースにしまい、ジッパーを閉じるシーンがある。
- クランシー作品の成功でスティーブン・クーンツの『イントルーダーのフライト Flight of the Intruder』(映画題名は『イントル-ダー怒りの翼』)が1986年に出版され、これも成功作となった。
- 「テクノスリラーという分野を築きクランシーは出版界を変貌させました」と評価するのは海軍協会出版の「世界の艦船ガイド」著者のエリック・ウエルセイムEric Wertheimだ。「アメリカ人の軍事観そのものを変えたといっていいでしょう。アメリカ国民を軍につなげる大きな力を発揮したのです」■
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